あの日、初めて“父親として”泣いた。

父として泣いた日

2025年3月某日。

その日、娘は朝から少しぐずっていた。

「なんか、だるいのかな?」と思いながらも、いつものように慌ただしく家を出て、保育園に預けて会社へ向かった。

数時間後、スマホに1本の電話。

「娘さん、発熱があって…すぐにお迎えをお願いできますか?」

時計を見る。今、ちょうど会議の真っ最中だった。

ためらう気持ちもあった。周りの視線も気になった。

でも、俺にとって大切なのは――娘だ。

会議室をそっと抜け、上司に頭を下げ、電車に飛び乗った。

電車の窓に映った自分は、無表情だった。

何度目だろう。保育園からの呼び出し。会社を早退するのも、もう慣れたはずなのに、どこか心がささくれていた。

「また迷惑をかけたな…」

「もう少しでプロジェクトが動きそうだったのに…」

そんな思いがぐるぐると頭の中を回っていた。

でも、保育園に着いて娘を抱っこした瞬間、そんな雑念は一気に吹き飛んだ。

娘の身体は、思っていた以上に熱かった。

頬は真っ赤で、目もうるんでいる。

でも、小さな手は俺の服をぎゅっと握りしめていた。

その力強さに、「パパ、来てくれてありがとう」と言われている気がした。

帰り道、信号待ちの交差点。

ふいに、娘が小さな声で言った。

「パパ……きょうもありがと」

その一言に、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

思わず、信号が変わるのも忘れて、立ち尽くしてしまった。

あたたかい涙が、頬をつたって落ちた。

あの日、初めて“父親として”泣いた瞬間だった。

思えば、育児には“正解”なんてものはない。

仕事との両立に悩んで、妻に気を遣って、保育園との連絡帳に頭を悩ませて。

毎日がトライ&エラーの繰り返し。

「自分はいい父親なのか?」

「これで合ってるのか?」

そんな疑問を抱えたまま、今日もなんとかやりくりしている。

でも、あの一言で救われた。

「パパ、ありがとう」

その言葉が、胸の奥にずっと残ってる。

父親として、何かを“してあげた”というより、

子どもに“支えられている”ことの方が、よっぽど多いのかもしれない。

あの日から、少しずつ気持ちが変わった。

たとえ空回りしても、不器用でもいい。

「俺なりの父親像」で、歩いていけばいいんだって。

そしていつか、娘が成長してこの日を忘れてしまっても、

俺だけは、ずっと覚えていたい。

娘が「ありがとう」と言ってくれた、あの日。

もし、今これを読んでくれているパパがいたら。

たとえ不安でも、泣きたくても、それでも前に進もうとする“その姿”こそが、

きっと、子どもにとっての「かっこいいパパ」なんだと思います。

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