あの日の涙を、まだ覚えてる。

パパの涙

2025年5月某日。

雨が上がった午後、公園のブランコに座っていた娘が、空を見ながらポツリとつぶやいた。

「パパ、きょう おしごと おやすみ?」

その言葉に、少しだけ胸が痛くなった。

「うん。今日は、ずっと一緒にいられるよ」

そう返しながら、自分の中でずっと残っている“あの日”のことを思い出していた。

あの日、俺は娘の前で泣いた。

本当に、情けないくらいに泣いた。

仕事でうまくいかなくて、頑張っても頑張っても空回りで、

上司からは理不尽な言葉を浴びせられて、

誰からも必要とされてないような、そんな気がして。

帰宅したとき、娘は笑顔で「パパ、おかえりー!」と迎えてくれた。

「パパ、だいじょうぶ?」って聞かれたとき、

「うん、大丈夫だよ」って、笑って答えたけど。

本当は、限界だった。

その夜、娘が眠ったあと、寝顔を見た瞬間に、

いろんな想いがこみ上げてきて、涙が止まらなくなった。

声を殺して泣いた。

もうダメかもしれないって思った。

それでも、あの小さな寝顔が、どこまでもやさしくて、どこまでも愛おしくて。

あの夜のことを、娘はもう覚えていないだろう。

でも、俺はきっと一生忘れない。

“泣いた”ことじゃない。

“泣けた”ことが、俺にとっての救いだった。

大人になると、泣くことに理由がいるような気がしてしまう。

でもあの夜、何も言わず、ただ泣けたことが、

「ちゃんと人間として生きてる」って、自分を取り戻させてくれた気がする。

「パパ、つぎ どこいく?」

娘の声にハッとして、空を見上げる。

雲の切れ間から、淡い陽の光が差し込んでいた。

その光の先に、少しだけ未来が見えた気がした。

今も、迷いながら生きている。

仕事だってうまくいかないし、自信を失うこともある。

でも、こうして一緒に歩ける人がいるだけで、

「それでいいんだよ」って思える瞬間がある。

たとえ人に認められなくてもいい。

会社で評価されなくても、昇進しなくても、

たったひとり、この小さな手に認めてもらえたなら、

それだけで、もう十分なんだ。

「パパ、たのしかったね」

その一言が、俺の生きる意味を教えてくれる。

だから俺は、今日も笑おうと思う。

まだまだ不安はあるし、涙が出そうな夜もあるけれど、

この子の前では、ちゃんと前を向いていたい。

いつか娘が大きくなったとき、

「あのときのパパ、がんばってたな」って思ってくれたら、それでいい。

今日も、ここに気持ちを置いていきます。

あの日の涙も、この笑顔も、全部忘れずに抱えながら。

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