娘の寝顔に、何度も救われてきた。

パパの決意

2025年4月某日・夜。

ふと、気づけばこのブログも10記事目を迎えた。

始まりは、誰にも言えない思いを、ただ吐き出す場所が欲しかっただけだった。

副業が禁止されている会社に勤めながら、育児と仕事に追われて、

「誰かにこの気持ちを聞いてほしい」とすら言えない夜が続いていた。

それでも、ひとつ、またひとつと記事を重ねるたび、

少しずつ、自分の中で変化が起きていった気がする。

たとえば、仕事で泣きたくなる日。

会議で詰められて、理不尽な対応に耐えて、

帰りの電車ではスマホを見つめるふりをして、

実はただ、自分の無力さにうなだれていた夜。

たとえば、育児で自分を責めた日。

ごはんをこぼされた瞬間に声を荒げてしまったり、

「もう、パパいや!」と泣かれてしまったり、

そのたびに「なんであんな言い方したんだろう」と後悔ばかりが募る。

だけど――

その夜の終わりに、娘の寝顔を見た瞬間、

不思議と涙がにじんで、心がふっとやわらかくなる。

あたたかい寝息と、少し汗ばんだ額。

お気に入りのぬいぐるみを抱きしめる、小さな手。

そのすべてが、「パパ、がんばってるよね」って

言ってくれているような気がして。

どんなに心がすり減っても、

この寝顔に、何度も、何度も、救われてきた。

正直な話、育児なんて思い通りにいかない。

「理想の父親」なんて遠すぎるし、

「パパすごいね」なんて言われたこともない。

むしろ、怒って泣かせて、落ち込んで。

そんな毎日の繰り返しだ。

でも、それでも――

こうして言葉にしてみると、

「それでも、ちゃんとやってるじゃん」って

自分を認めてあげられる気がする。

X(旧Twitter)での反応やシェアも、

正直、最初は全然なかった。

「誰にも読まれなくて当然」って思ってたし、

バズるようなネタじゃなくてもいいって思ってた。

だけど、ある日ふと、

1人の視聴者さんから「すごく共感しました」「泣けました」ってコメントが届いた。

たったそれだけで、

「書いてよかった」って、心から思えた。

「ブログなんて、自己満でしょ」

たしかにそうかもしれない。

でも、“誰かに読まれるかどうか”よりも、

“自分の気持ちと向き合う”ことのほうが、

今の自分にとってはずっと大事だった。

そして、それが誰かの夜に、そっと寄り添うようなものになれば、

こんなに嬉しいことはない。

今夜も、娘はすやすやと眠っている。

寝顔を見ながら、心の中でそっとつぶやいた。

「ありがとう。今日もパパは救われました。」

これが、10記事目の“ただいま”。

ここまで読んでくれたあなたへ。

心から、ありがとう。

そして、これからもよろしくお願いします。

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